対談・インタビュー
Legal Professionals
臨床法学教育特集
分配可能額計算システム



<6> 菅野庄一法律事務所


今回は、Legal Professionals〜法律家を訪ねて〜の第6回目の訪問先として、環境訴訟に力を入れておられ、中国・北京に新事務所(北京代表処)を開設された菅野庄一法律事務所を訪問して、お話を聞かせていただきました。


1.弁護士をめざしたきっかけは、友人の一言だった

――本日は訪問を受け入れて頂きありがとうございます。よろしくお願い致します。それではまず、先生が弁護士を目指されたきっかけの辺りからお聞きしたいのですけど、 先生は早稲田大学政治経済学部を卒業後、法学部に入られたとのことですね。 弁護士を目指されたきっかけというのは。

菅野: 政治経済学部の経済学科に入った当時は、弁護士になろうなんてこれっぽっちも考えていなかったんです。 当時は70年安保の前の年で学生運動の真最中で、ストライキやロックアウトで授業はほとんどやっていませんでしたから、 部室と雀荘と下宿の三点をくりかえす生活をずっと続けていましたね。

――部活は何部だったんですか。

菅野: 室内合唱団をしていました。それでいつの間にか4年になってしまい、どうしようかと思ったんです。 政経学部というのはとにかく、みんな新聞記者になるわけですよ。それで自分も受けたら落ちてしまって、 大学院を受けたらそれも落ちてしまって。まあ勉強していませんでしたので、当たり前だと思います。 留年すれば良かったんですけれども、うっかり卒業してしまったものだから、本当にどうしようかと思いましたね。
 そんなある時、毎日新聞社に就職した喜多君(現在同社北海道本社長)という友人がいたんですが、 彼が僕に新宿でコーヒーをごちそうしてくれて「菅野、背任と横領ってどう違うか知ってるか」って僕に質問したわけですよ。 当然、僕が知っているわけないんだけれども、それが法律を考えた最初でした。 当時は新聞記者になれたらいいなと思っていましたが、一方で才能がないとも思っていました。新聞記者になった友達と自分を比較して、 どうも自分にはあのねちっこさがない。それで僕には記者は無理だなと思っていた時に、法律のことを考えるきっかけを与えられた。 それで、弁護士だったらなれるかもしれない、試験だから頑張ればそのうち受かるだろうと思ったんです。それでなんとか法学部に入りなおしたというわけです。 弁護士になって、取材される側から彼らを眺めて、やっぱり新聞記者にならなくて正解だったと思いました。

――政治経済学部で学んでいたことが、いま環境問題に取り組む上で活きていませんか。

菅野: まあ挫折を経験したということは、活きているかもしれません。何を勉強したというわけではないのだけれど、あれもだめ、これもだめ、アルバイトをやってもだめと。 それで、謙虚さが身に付いたという点では、精神的に良かったかもしれません。受験中、親にもさんざん迷惑と心配をかけましたしね。 「司法試験を受けたい」と宣言したときの、母親の絶望的な表情は、今でも目に浮んできます。


――夜は何時ごろまでお仕事されているんですか。

菅野: まあ10時くらいですかね。なるべく早く帰ろうと思っていますが、それでも8時を早まわることはないですね。 僕のためにスタッフの帰りまで遅くしなってしまっているのが問題です。それから土日も、なかなか両日休めるということはないです。 日曜日に出張が入ったり。休みをとっても、打ち合わせをしてほしいという電話が入れば、自宅の近くまで来てもらったり。

――弁護士として一番やりがいがあって良かったと思うのはどういうときですか。

菅野: それはもう、お客さんにありがとうございますって心から言ってもらえたときは一番嬉しいですね。 勝っても負けても、です。お金の問題でもないと思います。仕事をきっかけにお客さんとつながりが続くことも結構あります。 もちろんある程度距離は置くんですが、ついおせっかいを焼いてしまうといいますか。それから、フットワークは軽いほうだと思います。 頭使うのはあんまり得意じゃないけど、身体使うのは結構得意ですね。弁護活動にとって「現場主義」は大事なことだと思います。 でも、ときに自分でも億劫になることもありますね。心がけとしては、「行かないといけない」とは思っているんですが、まだだめですね。 気分転換にもなる外国出張なんかだったら喜んで行ってしまうんですが。

――外国の事件はけっこうあるんですか。

菅野: 割とありますよ。最近のことでは、ドミニカ移民問題の裁判のため、十数回も日本とドミニカ共和国を往復しました。 良い思い出として残っているのは、北インドに学校を作りに行ったことですね。 遺産で北インドのチベット難民の子供たちのために学校を作ってほしい という遺言書を残された立派な方がいらっしゃって、その遺言執行者になったんです。 それで学校の建設資金を寄付するため、2度、北インドのデラドンという所に出張しました。 自分はその仕事のために報酬までいただいていたので、自腹を切っているわけではないんですけれど。 それでみんなに感謝されるんだから、あんなに恵まれた仕事はないと思いましたね。 現地の学校の講堂には僕の名前まで記されているんですよ。

――弁護士ってやっぱり、日々勉強していかなければならないじゃないですか。法律もどんどん変わっていきますし、勉強する時間はとれるものなのですか。

菅野: そうですね、自分が担当した事件は勉強するんですよ。反対に、具体的な事件が関係してこないとなかなか勉強しませんね。 最近はあんまり法改正が多いからついていくのが大変というのはあります。 法律の条文だけで後ろの本棚いっぱいになるくらいあるんですから。 それを更新するだけでもお金がいりますし、全部勉強するとなると本当に大変です。


次のページへ >