阿野法律事務所

  多角化経営のため大規模事務所が次々と統廃合している昨今、気になるのは個人事務所の存在です。また、東京を舞台とせずとも、地方へ行けば行くほど一人で業務をされている弁護士の方々が多いはずです。ではそうした先生方がいったいどういう心持で個人事務所を開いているのか。我々学生の中にも将来個人事務所という形態を目指す者もいるので、その利点・欠点を直接伺ってみようというのが今回の訪問なのです。我々は、本HPの立ち上げパーティーにもお越しいただいた阿野先生の事務所を訪れることにしました。東京は六本木、アークヒルズの近く。南北線六本木1丁目駅で降り、見慣れぬゴージャスなビルディングを抜けると、閑静な住宅街に程近い所に事務所はあります。

1 阿野法律事務所について

――本日は訪問させていただきありがとうございます。今回は個人事務所をテーマにして色々お聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。

阿野: 個人事務所の特長を、ですね。こちらこそよろしくお願いします。

――まず、先生はこうして個人事務所をやられているので、弁護士は先生一人でしょうが、他に事務所を構成されている方がいれば、是非教えてください。

阿野: はい、私の他に、秘書が一人います。彼女はコンピューターにも強いので、先日も急にPCがトラブルになったときにハードを交換し、旧PCのデータを新PCにすぐ移してくれたりと、業務を行う上で色々助けてもらっています。

――計2名ですね。では次に、事務所の場所をここにした経緯をお伺いしたいと思います。

阿野: 本当は当初、神谷町という、裁判所や弁護士会館に近い所で探しました。東京弁護士会の図書館など行けば、パソコンに判例集などはすべて入っているし、そこでやったほうがリース料払うよりいいだろうと考えたわけです(笑い)。でも手頃な所がないまま六本木と神谷町の中間まで来てしまったら、5年後に突然、南北線の駅が目の前に出来て非常に便利になった(笑い)。

――先生のためにできたようなものですね(笑い)。では依頼者層についてお聞きしたいのですが、近くにはアークヒルズやサントリーホールがありますし、つまり偏見ですけど、セレブな人が行きかうことの多い場所ですよね。そうすると、個人事務所で町弁であっても、依頼者の層というのはやっぱり一般階級よりちょっと高かったりしますか。

阿野: 残念ながら全然関係ありません(笑い)。例えば、都内の端の方で困っているお婆さんから相談が入って、事務所に来てもらうのも大変なので、自分で車を運転して依頼者の自宅に行って事情を聞いたり、その事件の管轄が都外なので、その裁判所に依頼者を送り迎えするような事件もあります。だから、麻布台でやっているからといって六本木ヒルズの人たちが来るとは限らないですよ、残念ながら(笑い)。まあ、依頼者の中には、一方では、資産家の一族もいれば、本当にボランティアで債務整理を受け持っている人もいるし、そういう意味では、個人事務所は面白いですよ。いろいろな人からいろいろな相談があって、社会の色々な断面を見られるから。

――なるほど。あえて言うなら、ヒルズも下町も、というところでしょうか(笑)。

 

2 阿野先生の経歴

――次に、先生は弁護士としてこれまでどういう経歴を辿られてきたのか教えていただけますか。

阿野: 1988年の4月に弁護士としてスタートして、最初はもちろんいわゆる勤務弁護士。1人の弁護士がいて、そこで初めて勤務弁護士をとるという方のもとについて、3年ぐらい仕事をしましたね。 そのあと、ちょっと事情がありまして移籍して、また同じ形態の事務所で6年ぐらいやったかな。6、7年。あわせて10年ぐらい勤務弁護士をしました。

――では、そこから独立した理由はなんですか。

阿野: 最初の事務所も次の事務所も、いろいろ指導を受けて経験を積ませていただいたけれど、経験を積んでくると、事件によっては、処理方針なんかでどうしても先輩弁護士との間でズレが出てくることも多くなるのです。特に1対1ですから。それに、弁護士は最終的に自分で判断してする仕事ですから、独立しようと考えて、現在のオフィスをちょうど10年前に開いたんですよ。それから、ずっと一人でやってきました。今の時代から言えば、まさに時代から取り残されたような形態とは言えるけど、まだまだ多いですよね、こういう弁護士はね。でも、これからの人がこういう形でやるのは大変なんだろうなと思いますし、難しくなるような気がします。

――ええ、都心はそうかもしれませんよね。でも、地方ですと、個人事務所がそれぞれの地方に1、2箇所あるだけの町も多いでしょうし、先生のような個人事務所の形態がまだまだスタンダードなのかなと思っていますが・・・。

阿野: そうですね。そういえば、ある地方都市に旅行に行って裁判所の周辺を歩いたとき、驚いたのは、個人事務所でも一戸建ての事務所が多いこと(笑い)。これからは地方も、どういう形態の法律事務所が適当かは難しいですよね。

――法曹人口との関係で、ですね。ところで、先生はそうやって独立されたのですが、最初は会計とか、法律以外の仕事も全部自分でやられたのでしょうか。

阿野: 僕の場合、その点は恵まれていましてね。親族に税理士がいて、それに、今は会計ソフトがあるから、秘書に金銭の出入りを画面に打ち込んでもらえば自動的に資料ができて、それを税理士に送っちゃえば後は全部やってくれるんです。でも、最初からこのようなやり方でするのは、本当は良くないのかもしれませんね。後で話しますが、個人事務所に近い形でやっている同期の親友がいるんですよ。彼は、最近まで自分で申告していました。彼のようにやれば税金の知識が豊富になるし、本当はその方がいいと思います。事件処理のうえでも、税金の知識は豊富にあったほうがいいですからね。ですから、そういう苦労だって結局自分のためになるんですよ。

――その税金の知識は他の事件にも使える、というわけですね。で、先生御自身としては、コネクションと電子的なツールがある、と。ところで、個人事務所で一人ということなのですが、先生の専門分野というのがあれば教えてください。

阿野: 専門分野が何かあるのかって言われたら困りますね。というのは、いわゆる町医者的な弁護士ですから、いろんな事件が入りますよね。離婚とか相続とかもやりますし、もちろん刑事から民事から。これは半分冗談で言うんだけれども、私は、M&A以外はだいたいやったことあると・・・(笑い)。

――なるほど(笑い)。では、そうして幅広く、いわゆる町弁としていろんな業務をこなされてきて、どのように顧客を獲得してきたのか、あるいは集まってきたか、気になるところなので是非教えてください。

阿野: これは、昔から言われていることですが、弁護士というものは、顧客開拓しようと思ったってなかなかできないじゃないですか。御用聞きをして歩くわけにいかないですからね(笑い)。普通は人の紹介で、依頼がきます。そして、その事件を処理してよい結果を出せば、必ず依頼者が覚えてくれて、そうすると、その人から紹介があって依頼者が来てくれて、ということになりますね。そして、またその話を聞いて、また結果を出せばまたその人から・・・、という形が基本ですね。それが伝統的な弁護士の依頼者の獲得法でしょう。後は、とにかく顔を広げるっていうことですね。その異業種でも、友達でも、できるだけ人との繋がりを大事にすることかな。まぁ、そんなことの繰り返しですかね、基本は。ただ、これからの時代は、それだけではやっていけないだろうとは思いますが、あくまでも基本は、仕事で結果を出して信頼を得るということだと思います。

 

3 個人事務所で業務を行うにあたって

――では、先生のように、個人事務所の形態でやることのメリット・デメリットはどのようなものでしょうか。

阿野: まず、一人でやるっていうのは、ある意味で気楽ですよ。束縛されないし、事務所内の複雑な人間関係もないからね。でも、非常に危険なのは、いくら勤務弁護士としてある程度経験を積んできても、仕事上の判断に他からチェックが入らないっていうこと。たとえば、非常に複雑な案件が来たときに、一人で判断するっていうのは非常に危険なケースがあります。また、弁護士っていう仕事は、基本的に信頼関係で成り立っている。お互いにね。さっきの顧客獲得の話に繋がるけど、信頼関係が基礎になっているから、なかなか誰でもいらっしゃいってわけにはいかない部分もある。ですから、紹介といえども、相談者が信頼関係を築ける人であるかを的確に判断しなければ、後で、依頼者に裏切られることもありえるのです。そういう判断を常に一人でやらなければならない点で、個人事務所は危険な部分がありますね。

――先生の場合は、その危険性に対してどう対処していますか。

阿野: 僕の場合は、友人に恵まれていましてね。修習時代に横浜で実務修習を同じ班で9人でやったんですが、特にその中の一人とは、今も、仕事も連携してやっています。彼が立場上できない事件は僕がやるとか、たとえば、被告が何人もいて、一人一人の利害が相反するから一人では受任できない場合に、そのうちの一人を僕が受任するなどです。9人のなかでも、その同期の弁護士とは、仕事の連携ばかりでなく、仕事上の悩みも遠慮なく相談できるし、ときには、彼から厳しいことも言われるし。僕から彼に言うこともあります。そのような形で事実上チェックをしています。また、とても難しい相談が入ることもあるし、難しい問題での方針で悩んだときに、なかなか弁護士同士でそこまで相談できる人がいることはないと思いますね。私の場合は、幸い少なくとも一人はいますから・・・。また、一人では処理できない規模の事件が来たときには、同期や知り合いの弁護士のネットワークがありますから、たとえば民事再生の相談などはとても一人では処理できないから、経験豊富な親しい弁護士とチームを組んで処理するようにしていますね。

―― 一人で弁護士業務をやる危険性を人的ネットワークでカバーするということですね。では、先ほど話に出ましたが、今後の個人事務所の存在についてお伺いしたいと思います。法曹人口が増える中、個人事務所の存在そのものについてどうお考えでしょうか。

阿野: 弁護士のクライアントというものは、大企業から個人まで、あらゆる人間、人の集団を相手にする仕事じゃないですか。そこが、例えばお医者さんと違うところでしょう。お医者さんは大病院だって相手はひとりの人間じゃないですか。ところが、そこはやっぱり弁護士は違いますよね。大企業から個人まで相談に来るという意味で。それを考えると、いろいろな規模の事務所がないと、対応できないのではないかな。個人でちょっとした悩みがあるときに大規模事務所に行ったら、来られたほうは困るのではないかな、経費がかかりますから(笑い)。たとえば、私のような小規模の事務所なら、事務所経費はあまりかかりませんから(笑い)、個人で困っている人で弁護士費用もままならない人の相談でも、ボランティア的にやることも可能になってくるわけですよ。大規模事務所だとやりたくてもできないということもあるのではないですか。カッコつけるつもりは無いけれど、小規模事務所のやりがいの一つじゃないかな。

――先生は先ほど自由なのが好きだと仰ってましたよね。そういうのも影響しているのでしょうか。

阿野: そう。でも、繰り返しなるけど、気楽でいいんだけれども、忘れていけないことはあるね。

――個人事務所でやることの危険性というか、弁護士の仕事をチェックする機関がないことの問題でしょうか。

阿野: それは自覚しないとね。どんな仕事でも一人でやる場合に言えることだと思いますけど・・・。これは正直に言っておくけど、20年近く弁護士をやってると、自分でも何回か危ない場面がありまたよ、ちょっと油断したり。親しい人からちょっとやってくれって言われて、安易に引き受けてちょっと危ない目にあったり。それは何回かありましたよ。だから、これは他人事ではなくて、危険な仕事なんだってことを常に自覚していないと。これは大きな事務所に入った場合にも常に必要ですね。基本は、専門的な資格を持った人間の仕事上の責任に関する問題ですから・・・。私の場合は、さっき言った親しい同期の友人のアドバイスなど周囲の人達の協力を得て切り抜けてきましたね。


――それは今後どんどん生まれる法曹に常に気をつけて欲しいことでしょうね。

阿野: ええ。法曹人口の増加については、私は、今の司法制度改革は、ちょっと極端な部分があると思ってます。年間3000人も法曹を世に出す必要があるかなって。ただ、地方で弁護士が不足しているという現実はありますから、増やすこと自体はいいと思います。ただ、どこをどれだけ増やすのかっていうのが大事だと思います。その辺の議論を詰めないまま、あれよあれよという間に年間3000人がでてきたという印象を持っています。日本社会のいつものパターンですけどね。この間、銀座で酒を飲みながら話をしていて、「今後、毎年3000人近く弁護士が出来るんだよ。」って言ったらね、そのホステスの女の子が「えぇ,これから少子化になるのに、そんなに弁護士いるんですか。」って(笑い)。

――案外本質をついているかもしれませんね(笑い)。

 

4 印象に残った事件

――では、今度は、先生が受け持った事件で印象に残ったものについて、守秘義務に反しない程度でよいので教えていただけませんか。

阿野: 最近、印象に残っているものとしては、建築紛争ですね。今、都内で大規模マンションが住宅地の横に立って周辺住民とのトラブルがあちこちで起きているでしょ。その件も、一応周りで反対運動みたいなことをやっているわけですが、その地域に住んでいる以前の依頼者が僕になんとかしてくれっていうわけ。でも、なんとかしてくれって言ったって環境権で訴訟起こすわけにはいかないじゃないですか。とにかく最初、建築主と交渉したんですよ。建築紛争で専門知識が必要ですから、たまたま知り合いの人で、一級建築士で昔は大規模な開発会社で働いたこともある人を補佐人として、その人に意見書を書いてもらって交渉したわけです。しかし、結局、相手からはこちらの要望をすべて拒否されましたね。

――拒否ですか、建築紛争って難しいと言いますが・・・。

阿野: まあ、当然といえば当然なんですが、こちらには具体的な権利がないんだから。そこで、次にどういう方法を執ろうかと思って、都の建築紛争の斡旋の制度があるので、それを申し立てたのです。ところが、相手は斡旋自体に出ることを拒否してきた。要するに相変わらずゼロ回答ですね。ですから、仕方がないかと、それこそ環境権に近い「人格権」を基礎に「防災上の危険」や「プライバシー侵害」を理由に建築続行禁止の仮処分を申立てたんです。仮処分では、必ず最初申立代理人と裁判官が話し合う面接という手続があり、申立の事情を聞かれるんだけど、そうしたら裁判官が「先生、これ成り立つと思いますか。」と(笑い)。普通は、いい歳をした弁護士がそんな申立書は書きませんからね(笑い)。

――八方塞ですね。

阿野: ですから、こちらは、「いや、実はこのような申立書を出すのはお恥ずかしいのですが、直接交渉をしてもダメで、斡旋の制度を使ってもダメでした。どうしようもなくてこれやったんです。分かってます。ほんとお恥ずかしいんです。」と言ったらね(笑い)、裁判官が理解してくれまして「先生、分かってやってらっしゃるんですね。分かりました、すぐ呼び出しかけます。」と。

――おお。

阿野: 実は、この件については、伏線があって、同じ依頼者から、この件の直前に、類似の案件を依頼されて、もっと差し迫って案件でしたから、すぐに仮処分を申し立てて和解で解決したということがあったんです。依頼者もそれを見ているものだからこっちもやれるでしょっていうわけ。ところが、最初の事案とは、法律的には全く違う状況なのですね。俗に言えば、二匹目のどじょうを狙ってくれみたいな話ですが、さすがに僕としては、交渉で何とか解決しようとしたわけですが・・・。

――どうして裁判官は、すぐに呼出をかけてくれたと思いますか。

阿野: その裁判官は、「我々は紛争の調整者としての役割もある」という自覚をもっていましたね。保全手続などは紛争解決の手段の一つにすぎないという考え方でしょう。頭の固い裁判官であったら、保全の要件を満たしていないというそれだけで申立を却下するでしょうけど、その裁判官はそういう自覚を持っている人でした。特に2件目なんて恥ずかしかったですよ、にっこり笑って「先生、これ成り立つと思います。」なんて言われてごらんなさいよ(笑い)。

――弁護士の苦労ですね(笑い)。

阿野: 当初は、相手方の弁護士も「仮処分の過程での和解」ということに違和感を持っていたようですが、こちらがベテランの建築士であり、しかも、開発側の立場で建設に関与してきた人の意見書を前提にした要望を出すわけで、無理な要求をしているわけではないということを理解してくれたようで、こちらの要望のかなりの部分を受け入れてくれました。相手方は、仮処分の段階で弁護士が代理人として関与した事例ですが、弁護士同士の交渉だからこそまとまった和解と言えますね。裁判官からは、「建築紛争でこういう形で和解がまとまることほとんどありません。」と言っていただきました。

――ありがとうございます。裁判官の話も含めて、おもしろい話が聞けました。建築士の方のこともそうだし、やはりコネクションって大切なんですね。ちなみに、先生個人としてどういう分野の事件が好きだとかあれば教えてください。

阿野: 別に好きな分野ということはないですよ。所詮はこっちから選べない職業ですから・・・。ただ、誰もやったことがない事件が来て、自分で拙い経験と知識を駆使して、必死に頭を使って切り開いていって解決したときに、依頼者から喜ばれるのが一番嬉しいですね。それと、本人は別に「好きな分野」とは思っていませんが、前に話した同期の友人が言うには「阿野は、刑事事件をやっているときが一番いきいきとしている。」そうです(笑い)。半年に1件のペースで私選の刑事事件をやる程度で、ほとんどが情状弁護、要するに、被害者と示談して起訴猶予、あるいは、執行猶予をとる事案です。ところが、去年、逮捕状で逮捕された被疑者の弁護を依頼されて接見したところ、どうも状況から考えておかしいので、20日あまり否認を通して処分保留で釈放させ、結局、嫌疑不十分ということで不起訴処分となった事案がありました。遠隔地でしたが、犯行現場とされた場所を検分したり、関係者から事情聴取を何回もやって、検察官や警察官と議論したうえでの結果ですので、この事件も印象に残っています。

 

5 今後の方針

――では、先生、今後もこういう個人事務所の形で、とお考えですか。というのは、今後の事務所の経営戦略などもお伺いしたいのですが。

阿野: 中国関係を本格的にやりたいと思っています。もちろん一人では出来ないですけど、6年程前、日本企業の上海現地法人のトラブルの解決に関与した関係で大学の後輩にあたる中国の弁護士や信頼おける中国の弁護士の方と知り合いになったことから、その方々と、日中関係で、法律家同士の信頼関係を前提にして日中間のトラブルを処理してきたいと思っています。そのための準備作業としての意味も込めて現在は、法律実務誌に後輩の中国弁護士と論文を書いたり、中国関係の論文の監修をさせていただいています。また、顧問先に中国現地法人を持っている会社があるので、工場移転を予定している関係で、また近々中国案件も実際に関与する予定です。このような形で、正に「微力ながら」日中関係の前向きな発展に寄与できればとも考えています。

――ちなみに、先生の事務所でエクスターン先として学生を受け入れたりっていうことは今後考えておられますか。

阿野: それはちょっと厳しいかな。申し訳ないけれど、これが個人事務所の辛いところですね。ただ、非公式にポッと遊びに来てもらう感覚で私の事務所に若い学生諸君が来てくれる分には大歓迎ですよ。そのような機会に面白い事件を紹介したり、いろいろな相談に乗ることもできると思います。勉強に疲れたら来てください。これから法曹を目指す皆さんは、本当に大変だと思うし、辛いこともあるだろうし、これから辛いことあったら、いつでも電話してください。

――ありがとうございます、是非またよろしくお願いします。


6 学生へ

――個人事務所を開いている先生にこそ聞きたいことなのですが、先ほど一人でやっていくことの責任感という話がありましたけれども、学生の中に将来的に個人事務所をやってみたいという人も多いですけど、どういうことが大切だと思われますか。

阿野: まず基本的なところをしっかり勉強してください。法律家ですから法律学の基本的な思考プロセスだとか。ただ、その基礎になっている社会的事実に対する興味を失わないように。往々にして弁護士とか裁判官は、法律を通してしか物事を診ないような癖がついてしまうような傾向があるんじゃないかな。つまり生の現実をなかなか素直に見ない人もいるような気がします。ですけど、そこには生の事件があって、生身の人間同士の事実があるわけでしょ、そこに対する興味を全く失っていてただ法律マシーンになってしまうと、変な結果になることがあるのでは・・・。ですから、法律の勉強をするのは当たり前ですけど、社会的なことに対する興味を失わないでほしいですね。結局、経験しかないと思う一方で、人間の経験なんて限られていると思うから、一方でノンフィクションなどの読書して経験を補う努力や興味を失わないようにしないと予想もしない相談が入ったときに、柔軟な思考ができなくなると思います。例えば、仮処分という手段が適当か、という判断一つとっても、その辺の感覚というのは法律知識だけじゃ絶対出てこないと思います。

――なるほど。その辺は個人事務所でやる際に特に求められることでしょうか。

阿野: 個人事務所に限らないですけど、弁護士はすべて、個人事務所であれ大規模事務所であれ、法律制度という限界はあるけど、そのことしか考えられないと色々な事件が起きたときに柔軟に対処する余力がなくなってしまうような気がします。難しいけど、制度と現実の兼ね合いというか、社会の生の現実にも興味を持ちつつ、それをどう法律家として対処していくのかという、その辺のバランス感覚が大事ではないですか。

――少なくとも、ロースクールの意義、実務教育ということで私達もがんばっているつもりですが・・・。

阿野: そうです。ロースクールの理念はそういうところだと思います。今までの法律学というのは、余りに抽象的、概念的すぎたような気がします。ただ実務家がなかなか教える立場に回るのは大変ですね。人に教えるためにはその準備期間は、その何倍いるわけですから。例えば、自分の扱った事例を素材に皆さんに何か伝えようと思い、仮に一時間教える時間があるとしたら、その何十倍の時間が準備にかかりますから・・・。こっちは日々の仕事があり、挙句の果てにこんな訪問があったりでパニクってるんだから(笑い)。

――お忙しい中ありがとうございます(笑い)。

阿野: いやいや(笑い)。その辺は現実には難しいですね。ともかく、研究者と実務家とこれから実務家を目指す諸君が密に一緒になって学んでいく場が出来たってことは、非常にいいことだと思います。個人事務所について、もう一度言わせてもらうと、どんな事件が入るか予想がつかないという状況は今後一層多くなると思います。もちろん自分でどうしても扱えない事件が入ればネットワークを使って、それこそ個人開業医が大病院に紹介状を書くような形にしますけど、まだまだ結構個人でもその気になれば出来る分野があるし、大事務所に行けば解決するとは限らない新しい事件ってどんどんくると思いますね。そう考えれば、個人事務所も非常に面白いというか、やりがいがあると思いますよ。ただし、前にもいったようにそれが非常に独断的な判断にならないように誰かと意見交換できるようなネットワークを作っておかないと危険ですね。

――貴重なお話、本当にありがとうございます。今回訪問させていただいて、個人事務所の利点・欠点を色々聞けて、私達学生は大変勉強になりました。先生、最後に、このページを読む学生へのメッセージを頂ければ幸いと思っています。

阿野: 最後は「これは許せない」というような自分の内面的な規範、これだけは持っていて欲しいですね。もし事件の依頼がきて、たとえば一審で自分ばかりでなく、周囲の人々もおかしいと思うような正反対の判決が出された場合に、これは許せないと思ったら、もう採算を度外視してとことんやるような心を持っているかどうか。そういう気持ちがないとやっていけない仕事だと思います。辛いけどね(笑い)。


――本日はお忙しい中ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

 

阿野 光男
早稲田大学法学部卒業。
1988年弁護士登録。

 

 

2006.10.28