骨董堂通り法律事務所

(10) 骨董通り法律事務所

 

はじめに
他の法律事務所には類を見ず、けれども芸術文化に耳聡ければニヤリとしてしまうような名前を持つ「骨董通り法律事務所」は、表参道駅から歩いて数分程、青山学院大学の裏手の静かな場所にありました。
事務所の中にお邪魔すると、エントランスにあるテーブルにはカルチャー誌やファッション誌が、受付の横には舞台公演や映画のフライヤーがさりげなく配置されています。会議室には外国映画の流れるモニター。まるでデザインオフィスかカフェのようなアート・ローのイメージそのままの世界が、私達を出迎えてくれました。

骨董通り法律事務所は、"For the Arts"を旗印に掲げる「法律家としての活動を通じて様々な芸術活動を支援する法律事務所」として2003年に設立されました。インタビューをさせて頂いた福井健策先生は「芸術文化法」の第一人者として活躍されており、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」の世話人としても著名な方でいらっしゃいます。アート・ローの世界をほとんど知らない私達に、福井先生はユーモアを交えつつ丁寧にお話をして下さいました。
今回のインタビューの間に最も強く感じたのは、「芸術文化に対する思いが、そのまま仕事への情熱へと連続しているのだ」ということでした。文化・流行の発信地の一つとして名高い青山に事務所を置いていると聞いたとき、私達はその建物の壮麗な外観を思い浮かべずにはいられませんでした。しかしながら、実際に訪ねた事務所は、ともすれば見過ごしてしまいそうな程のとても瀟洒な佇まいだったのです。しかしインタビューを終えた今、その佇まいは、先生の芸術文化に対する思い…芸術文化を陰より支える礎となるという思いの象徴であったように感じられます。

アート・ロー―芸術文化法は、ロースクールで法律を学ぶ私達にとってもあまり馴染みのない言葉ですが、このインタビューを通して、読者の皆様がアート・ローという分野について知ることのできるお手伝いが出来れば幸いです。
文責:永井幸輔

 

アート・ローとは何か

――今日はお忙しい中インタビューに応じて頂きありがとうございます。今回は福井先生に、アート・ローとは一体何だろう、ということを中心にお話を聞かせて頂ければと考えております。どうぞ宜しくお願い致します。
早速ですが、まず福井先生が専門とされている分野・取り扱っている業務について教えて頂けますでしょうか。

 

福井:そうですね、対象分野としてはよく「芸術文化法」と説明しています。僕自身は、出版、舞台イベント、映像、音楽、美術の大体5分野位しか扱っていなくて、すごくつぶしが利きません(笑)。
内容的には、1番目に多いのが契約交渉。2番目が広く法律アドバイス。その中でも一番多いのが著作権です。3番目が紛争処理。これも著作権絡みが非常に多いです。つまり、契約交渉と法的アドバイスと紛争処理を主に取り扱い、いずれも著作権が深く関わっています。

――具体的には、どのような相談を受けられるのでしょうか。

福井:クライアントが芸術文化活動のために必要としていることであれば、できることは何でもやります。芸術文化セクターという、どちらかといえばクライアントで切り分けるのが芸術文化法です。

事案分野としては、著作権を中心とする知的財産、もちろん契約法全般、それから投資、税務、入管・通関、保険、独禁法、各種行政法規。例えば、劇場などは消防法とかが関係するわけです。もちろん、債権回収もあります。
以前チケット会社が倒産したときに、チケット会社が既に売っていたチケット代金はどこかに消えてしまって、イベントの主催者には一銭も入らないということがありました。このときに当日お客さんが来たら入れなければならないのか、入れなくても良いのか。実は法的につめたところで、ビジネス的には入れざるを得ないかもしれないですけどね。このチケット会社からチケットの実券が変なショップに流れてしまったときにそれを回収することができるのか。ではイベントの入場チケットとは法的にはいったい何なのか。債権回収や倒産法とチケット販売契約の慣習や解釈という、独特の法領域にまたがる仕事になる。そんなこともやります。

――刑事事件を受任されることもあるのでしょうか。

福井:稀ですが、あります。「この作品は猥せつか」なんて問題もありますし、例えば、映画監督が撮影期間中にお酒のうえで喧嘩をして勾留をされてしまった場合。このときは刑事事件として受けます。「この人がいないと映画ができないんです」というような話をして釈放を求める、なんていうことも有り得る訳です。

――芸術文化という切り口から、幅広い業務に携わっているということですね。

福井:そうですね。いろいろな文化活動をすれば、いろいろな問題にぶつかります。それは何でも解決しなければなりません。ただ比重からいくと、とにかく著作権と契約が多いのは間違いない。そこで、なんとなく著作権の専門家みたいなふうに見られるようになった、というのが正しいのかも知れません。

――クライアントには、アーティストと、アーティストを使って利益を上げる会社と、その両方がいるのでしょうか。

福井:うん、いるんですよ。個人アーティストの依頼もありますが、むしろ、出版社・映画会社・レコードレーベル、それから劇団・芸能プロダクションが多いですね。今言ったような会社や個人を僕は広く「プロデューサー」と呼びます。プロデューサーサイドとアーティストサイドは、どちらもクライアントにいます。個人アーティストも代理したり助けたりはするけれども、2割位でしょうか。


「For the Arts」という理念

――骨董通り法律事務所の掲げている「For the Arts」という旗印は、どのような理念を表しているのでしょうか。

福井:僕たちは、法律のために社会が存在するのではなく、社会のために法律が存在するのだと思っています。ところが法律家は、ややもすると法律からものを考え始めてしまいます。例えば、現場の人の話を聞いて「それは民法の典型契約のどれに当たるか」と考える。現場でやっていることこそ「典型契約」なのだから、これはスタートとゴールを履き違えている気がする。

著作権の議論でもそのことはみられます。まるで、著作権を守ることや強化すること自体が社会的価値であるかのように活動する法律家や業界の関係者は多い。けれども、著作権という法律はツールに過ぎず、本当は目的となる社会的価値があるはずですよね。僕は、芸術文化が豊かで多様にいきづく社会のために活動する法律家になりたかった。ということで「For the Arts」という言い方をしています。

その意味で、先ほどプロデューサーとアーティストの両方を代理しますと言ったけれども、ある特定のポジションの人のために働くというよりは、「芸術文化」のために活動したいと思います。日本では使い捨てのようにされるプロデューサーも少なくありません。良い芸術や文化というのは、資金を集めて、作品の制作を先導し、読者や観客と作品を結び付けられるプロデューサーの存在なしには成立しないんですね。
プロデューサーも、アーティストも、それから観客も、皆がいないと芸術文化はいきいきと輝きません。そんな豊かな社会のために活動したいと思います。

 

「アート・ロー」と「エンタテインメント・ロー」

――"アート・ロー"に近い分野として"エンタテインメント・ロー"という分野があります。両者の区別は私達には難しいのですが、先生はどのように意識されているのでしょうか。

 

福井:エンタテインメント・ローの方がずっとメジャーな言い方で、アート・ローや芸術文化法は用語として普及した言い方ではありません。僕も、専門分野を説明するのに前者の用語を使うことはありますよ。
アート・ローと言うときには、エンタテインメント・ローと多くは重なる意味で使います。ただし、アート・ローの直訳が「芸術法」であることから分かるとおり、芸術文化という側面から切り取るニュアンスがありますね。おそらく、娯楽に属することだったら何でもエンタテインメント・ローの対象になりますが、芸術文化に属するものだけがアート・ローの対象なのかな。
例えば、最初に僕があげたような分野を中心的に扱っていればアート・ローの語感に近いだろうし、ノンコマーシャルの作品も含めて扱っている人もアート・ロー的だと思います。それに対して、この分野に限らず、例えば広告、IT、スポーツ、さらにはアミューズメントまで、幅広く情報・娯楽産業に属する分野を扱っている人はよりエンタテインメント・ロー的だという気がします。


アート・ロイヤーのいま

――その区別でいうと、アート・ローに携わる弁護士は、現在どれ位いるのでしょうか。

福井:その分野しかやりませんと宣言してしまう人は少ないでしょうね。分かるでしょ、どっちが儲かりそうか(笑)。一般論としては、ITや周辺的エンタテインメントの分野の方が、遠慮なくチャージできるクライアントは多いですよね。逆に、コアな芸術文化になればなるほど、チャージ金額を考慮してあげなければ弁護士を使えない。やはり、芸術文化としての先鋭度と市場性というのは綺麗に重なっていませんから、ある程度は不可避ですよね。先にあげた意味でのアート・ローに分野を絞ってしまえば、事務所運営はそれだけハードルが高くなります。

――アート・ロイヤーを志望するロースクール生や若手弁護士にとって、おそらく気になるのは弁護士としてのビジネスがどれくらい成り立つのかということだと思います。福井先生は芸術文化法以外の事件は取り扱っていないということでしたが、事務所運営で苦心されることはないのでしょうか。

福井:食うや食わずの状態の中でアート・ローしか仕事をしませんでしたという時代は、幸いにしてないですね。
幸いここ十年ほど、「コンテンツビジネス」などと言われて芸術文化産業はちょっとした好景気です。加えて著作権がこの数年間ブーム的に注目を集めていて、業界内での関心は非常に高いです。加えて人好きのするこの性格(笑)。は冗談ですが、幸い仕事や収入で困ったことはありません。

ただ、運営の苦労があるかといえば、それはあるんでしょうね。弁護士に限らず他の仕事でも、自分の好きな分野だけに限って仕事をしようと思えば、収入で苦労をすることも当然あるだろうと思います。
例えば、こういうジャンルでなければこの倍も稼げるだろうなと思うことは、それはもう年中あります。他ジャンルで僕の同期だったら時間あたり5万円の請求をする弁護士もいるはずです。でも、コアなアート分野であれば、本職の収入は月に5万円というアーティストもいます。一流のエンタテインメント企業や売れに売れているアーティストの依頼でも、不動産や金融の分野のような請求はしないでしょう。僕は別に困っていないけれども、他のジャンルはもっと稼げるんだろうなというのが答えになりますね。

――金銭的に豊かではないアーティストの相談は、どのように受けているのでしょうか。

福井:非常にプロボノ的な仕事になります。個人アーティストからの飛び込みの電話は事務所によく入ってきます。このうちの大半はフィーとしては到底成立しませんが、内容によってはメンバーが採算を度外視して相談に応じます。でも、そういう事件をどんどん受任できるかというと、少なくともうちの事務所には無理です。意義を感じて例外的に受けることもありますが、やはりそういう部分だけで事務所を運営するのは難しいだろうと思います。


プロボノ活動

――他にはどのようなプロボノ活動をされているのでしょうか。また、アート・ローに携わる弁護士にはどのような社会的役割が求められるのでしょうか。

 

福井:プロボノ活動と言えるかはわかりませんが、多いのは講演と執筆です。
今年度は、東京大学と東京藝術大学で、それぞれ著作権についての講義を受け持っています。東大はロースクールではなくて、大学院人文社会系というところで、「文化と著作権」というテーマ。芸大も、アート・マネジメントをやっている音楽環境創造科というところで、著作権や契約の基礎を教えています。
アート・マネジメントの部分を太らせていく作業は、芸術文化にとって今重要なことです。僕らの仕事も、広い意味ではアート・マネジメントの一環と言って良いでしょう。芸大や美大・音大には各地から天才と呼ばれる学生たちが集まるけれど、卒業後にプロで食べていける人は本当に一握り。大抵の人は裸で社会に飛び出して、どうやってアーティストとして生きていけば良いのか分からない、とよく言われます。そこでは、アーティストのセルフ・マネジメントがすごく大切になってくる。中でも、法律の知識や著作権の知識は必須のものです。

その他にも、業界団体や著作権関係の団体などに依頼をいただくと講演をします。これは、正しい法知識がまだまだ足りないし、どのように著作権を考えるべきかということについても社会はやや混乱した状況にあるから、少しでもガイドラインを与えられたらと思って取り組んでいます。あとは執筆ですね。自分で執筆するほか、今、著作権情報センター(CRIC)というところから「エンタテインメントと著作権」という全4巻のシリーズを出していて、シリーズ編者として関わっています。こういう情報も、豊かな芸術文化を支えるインフラの役割を果たすんじゃないかなと思います。

――教育的なインフラの他にも、例えば契約のひな型を提案していくなど、トラブルを予防するためのインフラ整備などは考えられないでしょうか。

福井:あるでしょう。色んなことができると思いますよ。ひな形の普及、それもセルフ・マネジメントのおそらく一助になるでしょう。ひな形には限界もあります。でも役にも立ちます。ビジネスの法やノウハウを本にするのも、ひな形と同じような意味で役に立つでしょう。いろんな形で支えていけると思います。

併せて、法律家が各ジャンルに対して害をなさないようにすることも大事です。これから法律家が増えて、芸術文化に関与することが否応なく増えるでしょう。そうなったときに、「良い弁護士」になって、「悪い弁護士」にならないということも、私たちが自身に対して問いかけていかなければならない気がしています。


法律家が害をなすとき

――法律家のなす害、というのは具体的にどのようなことを指しているのでしょうか。

福井:そうですね。たとえば、これからは契約が大事だという風潮がいっそう高まると思います。すると、契約で一度痛い目を見た人は、次から契約書にエネルギーを注ぐでしょう。相手から示された契約書を持って弁護士に相談に行くと、弁護士が「とんでもない契約だね、こう直さないとだめだよ」と言う。そこでもし、ビジネス慣行や程良いバランスを遥かに超過したことを指導したとしても、クライアントはおそらくそれを信頼します。あるいは、「取ろうと思えばこのくらいまで取れますよ」と言われたら、それが慣習とは違うことが分かっていてもそうしたくなるのが人情です。それで実際にぶつけると、今後は相手の弁護士が冗談じゃないと言ってそのまま呑むことはない。
そうやって言ってみればどんどん焚きつけていくことで、交渉はたやすくヒートアップします。そうすると、弁護士の仕事は増えて、しかも弁護士のクライアントに対する影響度は増します。これを世間では「マッチポンプ」と言います。弁護士はあらゆるリスクやチャンスに目を向けて指摘するのが仕事ですから、多かれ少なかれこのマッチポンプの要素が入ってきます。だからマッチポンプがすべて悪いわけではない。僕も多少はしているでしょう。でもこれをし過ぎると相手との関係は必要以上に敵対的になって、時に修復できない程に壊れます。契約書の交渉に弁護士が関与するとある比率でこういうことが起きます。
交渉である以上、自分のクライアントにとって有利に進めたいのは当然です。僕もそこは妥協しません。ただ、クライアントのためにバランスの良い落とし所はいつも考えてあげるべきです。業界の慣習を全然知らないままでも、いくばくかの経験と契約書の知識があれば「この中途解約の条文は手ぬるいからこうしろ」と言うことはできてしまう。でも、それは業界の長い慣習やある種のバランス、ある種の合理性を完全に無視しているかもしれない。極端な無理を通すと相手は怒り、評判は悪くなり、ビジネスやプロジェクトは駄目になるでしょう。だから、より正しい知識を持って、より良い関与をする弁護士が増えていくと良いなあという風に思います。

――慣習を知ることが、アート・ローの分野で専門的に仕事をするためには必要ということでしょうか。

福井:作品を知ること、人を知ること、ビジネスを知ること。どれも大事ですね。

――福井先生はそれをどういった過程の中で学ばれたのですか。

福井:それは営業秘密です(笑)
いや、どうやってかなあ。作品は観るんだよ、とにかく。時間をやりくりしながら、今でも年に5、60回は劇場に行きます。美術館や映画館を入れれば100回以上は足を運ぶでしょうか。作品は出来るだけ観るようにしてます。観ることはすごく大事だね。
人を知るのは、出かけて行くことでしょうね。ビジネスを知るというのは、簡単にはいかない。オンザジョブで身につけるしかない。仕事が我々に教えてくれる、ということですかね。


アート・ロイヤーになったきっかけ

――福井先生はどのようなきっかけで、アート・ローという分野に関わられるようになったのでしょうか。

福井:大学時代から劇団をやっていまして、法曹の道を歩み始めてからも芝居は続けたいと思っていました。ところが、研修所に行った二年間が決定的でした。法律家という仕事は中途半端にできるものではないという思いを非常に強くしたんです。法曹と芝居、両方だとどちらも二流で終わるのかなと考えたときに、じゃあとにかく法律家で頑張ってみるかと思ったんです。そのときに、エンタテインメント・ロイヤーって言うのがいるんだよと、お前なんかはそれになればいいんだよと知り合いに勧められました。エンタテインメント・ロイヤーのことはそのとき初めて知ったんだけれども、じゃあその分野を勉強してみようかなと思って。だから、最初からそちらの分野をやりたいと思っていました。
それから、エンタテインメント・ローの仕事をしている内に、中でも芸術文化に強くひかれたというか、自然に芸術文化のフィールドの仕事ばかりになったのですね。

――劇団をされた経験は、やはり今でも活きていますか。

福井:舞台関係のお客さんは、多かれ少なかれその頃の知り合いか、その紹介を受けた人たちです。今でも仕事の4割ぐらいは舞台イベント関連なので、それは昔劇団をやっていたから今があるということですね、確かに。

 

印象深い事件

――それでは、次に具体的な事件についてのお話をお聞かせ頂ければと思います。これまでに受任された事件の中で、印象深いものがあれば教えて頂けますか。

 

福井:事件がすぐに浮ばないので、一般論として、すごく嬉しい時の話をしましょう。自分がお手伝いをして、素晴らしい作品が生まれたとき。嬉しいです。
舞台の話が出たので舞台で言えば、企画の最初の頃からサポートして、契約もやって、最後に公演を観に行きます。僕は必ず、ずっとサポートして来た弁護士の特権として、初日に良い席で観劇することをお願いするのだけど、このとき年に何本か本当の傑作だと思う作品に出会います。そういう作品を手伝えて、プログラムには、「法務アドバイザー 福井健策」ってちゃんと出ていたりして、それはやっぱり喜びですね。
マンガや映画でも、制作の段階からずっと交渉が難航したりトラブルがあったりして、世に生み出されるか分からなかった作品が、とうとう完成して公開されたときは嬉しいね。それがすぐれた作品だと自分で確認できて、世間もそういう風に評価をしたときは非常に誇らしい。

――それはきっと、アート・ロイヤーでなければ味わえない喜びなのですね。個別のケースではどうでしょうか。

 

福井:大裁判になったケースで、ミュージカル劇団の座付作家だった方が、劇団の経営母体の会社と何十作品もの著作権を争った、という事件があります。期間はそれほど長くなかったけれども、非常に大量の書類を扱わなければいけない裁判でした。
この事件では、ミュージカルを書いたのはどちらかで争いになりました。僕は作家の方の代理人でした。もちろん、公演のときにはほぼ全て作家の名義で公表されていて、裏付ける契約書などもあるのですが、相手方は実態は違ったと言います。前期の作品についてはみんなで書いて、後期になってからは、経営母体の会社の社長がみんなを手足にして口で伝えるようにして書いたと言う。
劇団の関係者の多くは相手方の社員なんですが、その陳述書が大量に、段ボール箱で運ぶほど出てくる。自分達が出した証拠ではなくても裁判には持って行かなくてはならないから、作家と僕と二人で書類をカラカラ、キャリアーで運んで、法廷まで行って戦ったんですよ。それで、全面勝訴といえる判決をいただきました。
自分が創作したことの証明って難しいんです。自筆原稿が残っていない。ワープロで書いて全部上書きしたから、できあがった原稿のデータしか残ってない。昔の劇団員で、地方で活動している方などに連絡を取りました。ひとりがわざわざ上京してくれて、「あの人は筆が遅くていつも待たされたけど、でも彼が書きました」って言ってくれました。うん。嬉しくてね。僕は、勝訴して出てきた後に作家を抱きしめんばかりにして、「あなたが書いたんですよ!」って言ったんです。法廷の廊下で。そしたら「知ってます」って(笑)。すごい裁判で勝ったんだからもうちょっと感謝しろよ、みたいなね(笑)。「知ってます、書いたんですから」って。
その後高裁で和解をして、そのクライアントの作品は今でも上演されています。和解もすごく悩みました。著作者だということでただ勝つだけでは、その作品は上演されなくなる恐れがある。作品は死んでしまう。作品は上演され続けなければ作家はやはりハッピーではない。そうやって最後に和解したことも、印象に残っている事件です。

――和解の内容を決めるときには、この作品はこうするのが作品にとって幸せであるというような深い話をクライアントとの間でするのでしょうか。

福井:それはしますね。和解に限らず、契約交渉でも裁判外のトラブルでも。お互いの意見が一致することもあるし、一致を見なければ最後はもちろんクライアントの意向を優先するけれども、その視点は少なくともあります。リーガルサービスからは少しはみ出るのかも知れませんが、それがやりたくてこの分野に携わっているのだから、思ったことは言わせてもらっています。
それ以外で印象深いのは、失敗した事件ですね。たくさんあります。大抵は自分が青くなって済んだくらいのケースが多いけど、本当にクライアントに損害を出させたことがあります。詳細はとても言えない。でも、そのクライアントは今でも顧問先なんですよ。僕の力不足で損をさせたのに、今でもそこの社長は、一番困った時に、ちゃんと相談に来てくださる。そういうのはすごくありがたいことです。
この失敗から弁護士は学ぶんです。失敗を積み重ねて、そうすると発言に重みがでます。こればかりは本やフォームからはとうてい勉強できない。契約書の書式は確かに凄く役に立ちます。でもその条文のこの表現がなんでそうなるのか、理屈でいくら言われてもやっぱり身にしみない。一つ一つの言葉に、自分自身の苦い歴史が刻まれるようになると、クライアントへの言葉の重みは違います。体を張って止めることができるはずです。ちょっと橋がぐらぐらしてるけれど一緒に川を渡ろうよというときと、体を張って止めるときの、その見極めが弁護士の一番大事な仕事です。僕もまだまだ至りませんが、みなさんも、たくさんの経験の中で身につけてください。

 

著作権保護期間延長問題注1

――福井先生は、「著作権保護期間の延長問題 を考えるフォーラム」注2 の世話人であり、多くの執筆・講演活動をされています。今回は法律を学んでいる、又は仕事にしている読者向けのインタビューであるということで、この保護期間延長問題についていつもより少し突っ込んだお話をお聞かせ頂ければと考えております。
まず、著作権保護期間である死後50年以降の経済価値を維持できる作品は著作物全体の2%にすぎない、という意見があります。そこで、経済的価値を維持できる2%の作品だけを登録制にするという形で、保護期間を切り分けることはできないのでしょうか。

福井:経済的価値が残っているとどうして延長しなくてはいけないのか、です。
経済的価値の議論というのは、よく誤解されて伝わっています。あれは保護期間を延長したところで受益する人はほとんどいないことの証明にはなります。少なくとも経済的な受益は98%の作品については望めない、著作権収入が入らないから、ということの証明にはなりますね。でも逆に、2%の作品について保護延長が正当化される理由にはなりません。誰かが…たとえば2%程度の遺族が延長で得をするという証明にしかならないのです。個人的メリットだけでは、ある法改正は正当化され得ません。延長の社会的メリットが何なのか、ということが問われてきます。私は、アーティストの生きている間の保護をもっと充実させるという話であればよく分かりますが、2%について登録制にして延長しようという議論は、その延長によって社会にどうメリットがあるかということが示されなければちょっと難しい気がしています。

――延長することで利益になる、という点はあるのでしょうか。それとも、100%のデメリットしかないのでしょうか。

福井:僕は芸術文化を専門にしていますが、アーティストの側にばかりに立っているわけでもないし、プロデューサー側にばかり立っているわけでもありません。同様に、権利者側に立つこともあるし、利用者側・事業者側に立つこともあります。いろいろな立場に立って仕事をしてるんですね。ですから、普段はあまり著作権について政治的な発言はしませんでした。政治的な発言をしたのは今回が多分初めてだろうと思います。この延長論だけは、アーティストを含めて誰の得にもならないという確信があったから。それ位、メリットが見えません。机上論であれば一つか二つは挙がらないことはないけれど、それは空論に過ぎない。
ですから、今回の保護期間延長が止まらないようなら、他の著作権に関する社会的議論も、制度論も全部失敗すると思います。今回まともな議論ができないようだったら、著作権について正当な議論はおよそ難しい。そういう気さえしています。

――「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」を開催して来られて、議論に何か進展は見えますか。

福井:議論はまともになって来たでしょう。文化審議会の中の「保護利用小委員会」でも賛否は拮抗して、簡単には伸ばせないという議論が生まれるまでになった。こういう議論を起こして行くことでちょっとやそっとでは伸ばせなくなるということを証明できただけでも、価値は大きいとは思います。しかし、そこで終わる気はもちろんありません。

――保護期間の延長を止めるにあたって、何が最も大きな障害なのでしょうか。

 

福井:最大の障害は「空気」です。日本でまともな法制度の議論をしようとするときの最大の障害は場の空気なのです。
例えば、「保護期間を死後70年とするべき絶対的理由はないが、なんとなくその方がクリエイターを大事にしている気がする」と思う人はいるでしょう。死後50年より70年の方がなんとなく知財立国的な気がする。多くの人はこのレベルでしか突っ込んで考えないかもしれません。なぜなら時間は有限だから、ありとあらゆる社会問題をじっくり考えることはできない。
そうすると、場を空気が支配してしまうということがありがちなのです。この空気によって場が支配されてしまったときに、おかしな議論というのは通ってしまう。だからそれが最大の障害だろうと思います。言ってみれば今回は"空気"対"道理"の戦いだと僕は思っている。保護期間延長に社会的なメリットを十分示せないならば伸ばすことはできない、というのが道理だと思いますから、空気と道理がぶつかり合っているような感じがします。そしてこの「空気」というのは大変な強敵です。外圧よりもっと怖い。

――その空気を打ち破るためには、時間をかけて考えることのできない多くの人たちにも強くアピールできるような、保護期間延長が有害であるという積極的な具体例が必要なのではないでしょうか。

福井:確かに、誰にでもアピールできる事例がたくさんあればその方が良いと思います。でも、保護期間延長問題はそういうものが比較的少ない。もちろん、古い作品に基づいた二次創作が害されるというような悪影響は数多く挙げられます。ただし、こうしたことはボディブローのように文化の体力にじんわり効いてきて、50年後に面白い作品が減ったとかそういう損失が生まれる。すぐには分からないんですよ。だからこそ非常に危険なのです。悪影響がすぐ分かるならトライ&エラーでやってみて、悪影響が出ればまた戻すことができる。でも、悪影響がじんわり出てくる保護期間延長のような場合は、そういう議論がとてもしづらい。

それでも、これが悪影響ですと言い易いものとしてアーカイヴィングを、具体的な例では「青空文庫」注3 を挙げるべきでしょう。
芸術作品の保存紹介は文化にとって非常に重要です。ネットワーク社会は必ずしも良いことばかりではありませんが、知の共有が容易になっているのは大事なメリットです。でも、アーカイヴィングはまだまだ進んでいません。国立国会図書館は、古い書籍にネット上からアクセスできる「近代デジタル・ライブラリー」を立ち上げましたけれど、明治期などの保護期間の切れた本中心でさえ、その権利関係の確認が大変だったそうです。
青空文庫は、ボランティアによるアーカイヴィングのすばらしい成功例です。ボランティアが立ち上げて、なおかつボランティアが全て手入力でテキスト化している。国立国会図書館のアーカイブはPDFです。それはそれでもちろん価値のあることだけども、青空文庫は全部手入力です。手入力して、校正をして、アップした作品が既に7000作品以上。
テキスト化されることで何ができるかというと、まず拡大文字にできるそうです。そうすると弱視の人が読むことができる。それからオーディオブックにすることができます。そうすると全盲の人が聞くことができる。あるいはデジタル翻訳で海外の人が読むことだってできるでしょう。市場性がなくても、国が旗を振らなくても、民間非営利セクターにこれだけのことができる。すばらしいケースです。
でも、このアーカイヴィングは保護期間の切れた作品を主な対象にしているわけですから、保護期間が20年延びるということは、20年分その対象にできる作品が減ります。その間に忘れ去られる作品も、散逸する作品もあるでしょう。先程の経済的価値がないという98%の作品も、歴史に淘汰されるような価値のない、つまらない作品かと言えば全然そんなことはありません。絶版になっている中にも素晴らしい本はたくさんあります。今は相当良い本でも何年か経てば絶版になり、市場から消える本は多いそうです。

あるいはフィルムアーカイブです。例えば、『オズの魔法使い』注4 は1939年の映画ですがデジタルリマスターによってまるで昨日撮ったような美しさです。
しかし、日本では古い映画の保存状態は決して良くありません。戦前の日本の映画で素晴らしい作品といえば『無法松の一生』注5 があります。大きなレンタルビデオ屋であればDVDか昔のVHSで残っているかもしれないから、借りて見てみてください。映像もぼやけ気味だし音も聞き取りづらい。他にも、山中貞雄さんの『人情紙風船』注6 や、この間中村獅童でリメイクされた『丹下左膳餘話 百万両の壺』注7 、あるいは『赤西蠣太』注8 という片岡知恵蔵主演の映画など、今見ても本当に面白い映画はたくさんあります。ところが、なかなか観賞機会がない。たまにあっても、何を言っているか分からないくらい劣悪な音声や荒れた画面を見ることが多い。これが、日本の現状です。
京橋の東京国立近代美術館にはフィルムセンター注9が付属していて、ここでフィルムの修復保存などに努力しているのですが、権利の壁、予算や人員の壁に阻まれてなかなか進まないようです。日本の映像資産には素晴らしいものたくさんありますから、そういうものは修復保存を行って、アーカイブとして公開して人々が再評価すれば、ひょっとしたらもう一回市場に出てくることもあるかもしれないんです。古い作品の収集保存は、とても大事なことですね。




注1 著作権保護期間延長問題
現在、現行著作権法の定める著作権保護期間を、死後50年から70年に延長する法改正が検討されている。著作権保護期間については、延長を求める要望がある反面、延長によるさまざまな悪影響を危惧する声も少なくない。2006年9月に日本音楽著作権協会(JASRAC)など16の著作権保護団体が作る「著作権問題を考える創作者団体協議会」が、著作権保護期間の延長を求めて文化庁に要望書を提出。同年11月に劇作家、法律家、学者などを発起人として、「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」(後に「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」に改称)が発足。以降、著作者・ステークホルダー・著作物の利用者・学者や法律家など多くの人々を巻き込み、同問題についての議論が交わされている。
2008年9月、文化審議会・保護利用小委員会が保護期間延長を当面見送る内容の中間整理をまとめた旨が報道された。

注2 著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム
著作権保護期間延長問題について開かれた議論を行うために設立されたフォーラム。福井先生が世話人を務める。公開シンポジウムの企画やメールマガジンの発行を行い、また公式サイトでは賛成派と反対派の議論の紹介や参考意見記事の収集を行うなど、同問題についての議論を活発にするための様々な活動を行っている。興味を持たれた方は是非下記サイトを閲覧して頂きたい。
なお、9月9日付で同フォーラム内のプロジェクトチームによる「保護期間延長問題と創作・流通支援策に関するthink C-PT 提言案」が公表されている。

注3 青空文庫(あおぞらぶんこ)
著作権が消滅し又は「書き手自身が対価を求めないと表明することで、パブリックドメインに帰した文学作品を収集・公開しているインターネット上の電子図書館。芥川竜之介や太宰治、梶井基次郎、紀貫之、フランツ・カフカ、ヴィクトル・ユゴー、また後述の林不忘など、多くの作品を電子テキストで読むことができる。
著作権保護期間延長問題に対しては、憲法第16条「請願権」に基づき、国会法第9章の「請願」として、保護期間延長に反対する趣旨の「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」を開始している。

注4 オズの魔法使い(原題:The Wonderful Wizard of Oz)
Lyman Frank Baumを著者とする児童文学小説。映画やテレビドラマ、アニメなど多くの作品に翻案されている。今回インタビューの中で取り上げられたのは、1939年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社が製作し、ヴィクター・フレミング監督がメガホンを取ったミュージカル映画版。

注5 無法松の一生
岩下俊作を著者とする同名小説及びこれを原作とした映画・演劇。映画は4度製作され、中でも大映製作、稲垣浩監督の1943年版は名作として名高い。

注6 人情紙風船
1937年公開。夭折した日本映画史上屈指の天才・山中貞雄監督の遺作ともなった作品。

注7 丹下左膳餘話 百萬兩の壺(たんげさぜんよわ ひゃくまんりょうのつぼ)
1935年公開の時代劇映画。日活京都製作所が山中貞雄監督、丹下左膳役に大河内傳次郎で製作した。原作は林不忘の新聞連載小説。多くの映画及びテレビドラマ作品に翻案されており、中村獅童が丹下左膳を演じたのは2004年のテレビドラマ版である。
なお、林不忘「丹下左善」は、上記青空文庫にて閲読可能。

注8 赤西蠣太(あかにしかきた)
志賀直哉を著者とする同名小説。1936年に片岡千恵蔵プロダクションにより同名のトーキー映画が製作された。監督は伊丹万作。

注9 東京国立近代美術館フィルムセンター
日本で唯一の国立映画機関であり、4万本以上の映画フィルムの他、スチル写真・ポスター・脚本・書籍など多数の映画関連資料を所蔵している。館内ホールでは、芸術的・映画史的に重要な作品や時事的・文化史的に貴重な作品の特集上映を行っている。

 

「芸術は生き死にの問題である」
――平成13年に日本を知財立国化しようという目的で、文化芸術振興基本法注10が作られました。しかし、実際には文化助成の枠が縮小されるなど、芸術文化振興が進んでいるとは言い難い状況であると思います。芸術文化振興のあり方について福井先生はどのように考えていますか。

福井:芸術文化振興政策全般のあり方が本当に正しいのか、今まさに問われていると思います。おっしゃった通り、各自治体で文化予算はどんどん落ちている。それは財政危機だからしょうがないことではあるけれども、まず真っ先に文化予算が削られるという傾向は非常に強い。そういう時にはこんなことが言われるそうです。「文化は金にならない」「文化は生き死にの問題ではない」。今はもう生死にかかわる問題に使うお金しかないのだから、生き死にの問題ではない文化に使うお金はないと。
その言葉に僕個人は共感は持てません。過去、文化予算が無駄に使われるケースがあったことは事実です。また、国の助成がなければ文化は成立しないと思っているわけではないですよ。助成がなくても邪魔さえされなければ芸術文化はそれなりにやって行けると思います。
でも、「文化は生き死にの問題ではない」という言葉には全く共感できない。そんなことを言うのであれば、ユニセフや各種NGOが限られた資金からアジアやアフリカの子供たちに援助をするときに、なぜ全額を食料や薬だけにあてないで、教育の援助に大幅な予算を割くのか。教育には、心の生存とか、明日の社会を変えていくための大切な知恵がたくさん詰まっていると考えるからでしょう。無駄な道路をどんどん作る方がよっぽど生存の問題から遠いと、僕は思います。
文化は社会にとって、えぇ、生き死にの問題です。我々が、どういう風に意味のある人生を生きて、どういう風に他者と共存し、次の世代に何を残すかということを扱うのが文化であり芸術なんだから、それは生き死にの問題です。そして、我々が生きるに値する生活をする上で、決定的に重要な作品を生み出し得る存在がクリエイターです。いつも生み出しているとは言わないけれど、生み出し得る存在だと思います。財政が厳しくなったときに、みんなが我慢しないといけないのはある程度しょうがないことですが、まず文化の優先度が低いからそこから削っていこうという風潮に対しては、我々は議論していかないといけないと思うんですね。

――法律家が、そのような自らの主張を行政や社会に広めるためには、どのようなことができるでしょうか。

福井:やはり審議会や自治体の委員会の委員をやったりすれば、反映はさせやすいですよね。中に入るのばかりが必ずしも良いとも限らないけれど、直截な方法としてはあるでしょう。
それから、逆に外から問題提起しようということで、先の「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」のような場を自分たちで作ることもできます。今はネットワークが整備されていて情報が非常に行き渡り易い時代だから、そういう個人の主張を届け易くなっていることも事実ですね。
本や記事、ブログを書いても良いでしょう。

…そうですね、主張を社会的に実現する方法はいろいろあると思います。芸術文化活動をしている人は、それを自分の文化活動の中で主張していくわけです。
もちろん弁護士としての日々の活動だって、そういう主張に役に立つじゃないですか。ある相談で、ちょっとそれやめておきましょうよ、ということがすごく大きな影響を与えることもあるかもしれないし、逆にこれいきましょうよ、ということが大きな影響を与えることもあるでしょう。
僕は弁護士会では環境委員会にずっと所属しているのだけれども、いろいろな提言や意見を政府に提出したり、政治家に会いに行ったりすることがあります。でも何よりも、環境裁判を起こして、そこで勝つことが社会に大きな影響を与える、ということをよく内輪では話します。やっぱり餅は餅屋で、僕らは法律家なんだから、裁判を通じて問題提起して、裁判を通じて社会のルールを変えていく道が我々にはあるよね、って話をしますね。


アートロイヤーの資質
――ロースクールからも、今後アート・ロイヤーを目指す学生が出てくると思います。アート・ロイヤーにはどのような能力・資質が必要なのでしょうか、あるいはどのような法分野を勉強するべきなのでしょうか。

 

福井:何よりも正しい法知識と社会常識ですね。つまらないと思うかもしれないけれども、これに尽きるでしょう。
それと、作品はたくさん観てください。作品が好きじゃない人は芸術文化を扱うべきじゃない。言い過ぎかもしれませんが、儲かりそうだとか、この分野は伸びそうだ、という理由だけで入って来られたら迷惑です。好きな人だけ来たら良いと思います。好きで来た人には、有利なことがあります。
断言しますが、今、仮に一部の芸術文化セクターで景気が良いとしても、絶対にずっとは続きません。きっと今に景気は悪くなります。僕が弁護士業務を始めた頃はバブル崩壊直後で、もう芸術文化なんてどうにもならないぐらい景気が悪かった。でもね、景気が悪くても、好きだったら面白いから半分勝ったようなものじゃないですか。好きでもないのに始めて景気が悪くなったら悲惨です。おもしろくないしお金もない。
だから好きな分野をやるのが良いと思います。どの分野が15年後に伸びるかなんて、そんなことはわかりません。著作権がここまで伸びること、ましてや皆さんみたいな人たちがアート・ローについて話を聞きにきてくれるなんて、15年前には全然予想もつかなかった。だから、皆さんが好きな分野に行ったら良いんじゃないですか。そんなことは余計なことかもしれないけど、あるいは先刻ご承知かもしれないけれど。そうすれば、人生半分は幸せだと思います。


――法律家を志す身として、心に留めておきたいと思います。本日は長時間お付き合い頂き、ありがとうございました。


福井健策
神奈川県立湘南高校を経て、東京大学法学部卒業。1993年に弁護士登録。東京永和法律事務所を経て米国に留学、1998年に米国コロンビア大学法学修士課程修了。帰国後に青山総合法律事務所を経て、2003年に骨董通り法律事務所 For the Artsを設立。ニューヨーク州弁護士。
過去に経済産業省・文化庁の委員を務める。現在は、東京藝術大学、東京大学大学院(人文社会系研究科)各非常勤講師(文化法、著作権法)を務め、また「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」の世話人を務めるなど、幅広い活動を行っている。
著書に「著作権とは何か-文化と創造のゆくえ」(集英社新書)、「エンタテインメントの罠 アメリカ映画・音楽・演劇ビジネスと契約マニュアル」(編著・すばる舎)、「エンタテインメントと著作権」シリーズ各巻(編著・著作権情報センター)。



 



注10 文化芸術振興基本法
「文化芸術が人間に多くの恵沢をもたらすものであることにかんがみ,文化芸術の振興に関し,基本理念を定め,並びに国及び地方公共団体の 責務を明らかにするとともに,文化芸術の振興に関する施策の基本となる事項を定めることにより,文化芸術に関する活動(以下「文化芸術活動」という。)を行う者(文化芸術活動を行う団体を含む。以下同じ。)の自主的な活動の促進を旨として,文化芸術の振興に関する施策の総合的な推進を図り,もって心豊かな 国民生活及び活力ある社会の実現に寄与すること」を目的とし(第1条)、「文化芸術を創造、享受することが人々の生まれながらの権利」(第二条3項)であると明記する。
しかし、同法は基本方針と基本施策のみを定める法律であるため、具体的な施策は国及び各自治体の行政政策に委ねられている。